GOMES THE HITMANのライブはいいぞ

吉祥寺SPC”wish on ashooting starー流れ星に願いを”

10/2、今年初のGOMES THE HITMANのライブでした。いやー、10月までよく我慢したなぁ、えらいぞわたし。

1曲目は「way back home」冒頭から涙が出てしまった。「外は大雨で夏休みは終わったのさ」「空は灰色で道標も曇ってゆく」初めて聴いた曲だったんだけど、あまりにも今の天気と連動しすぎではないですか?この曲をトップに持ってきたセンスに脱帽です。
30年近くバンドをやっていると、こんな1か月間をぴったり表したような曲もあるんだと感動。9月は本当にずっと雨が降っていて、(観測史上たしかもっとも雨が続いたらしい)みんなが思っていたことを歌で紡いでくれて、救われた。山田さんはいつもライブの後、セットリストを投稿してくれるから大変助かります。
山田さんが、今日は泣いたり笑ったり楽しんだりするライブにしましょうと声をかけてくれたのも嬉しかった。
ゴメスザヒットマンのライブのセトリはいつもストーリー性や季節感があり、繋ぎも本当に気持ちが良いのだけれど、今回は一段とよかった。
「アップダイク追記」は大好きな一曲。2番の、「星の数ほどの言葉のどこにも救いはなくて」という歌詞は文学を学んだ人からしかでない秀逸なものだと思う。わたしは文学部を出ているけれどこんな歌詞は一生書けない。
毎回ライブに足を運んで良かったと思うのが、CDで聴いた曲がまったく違う角度から大好きになること。今回一番印象に残ったのは「午後の窓から」。コーラスがとっても美しくて、会場との一体感もあって新鮮だった。「外に行けばもっと賑やかな気分になれるんだろう」「だけど今は開け放った窓の外を見てるだけでいい」人といる時とひとりの時の自分の違いをこうやって言語化するのかと感心してしまった。
ライブに行って聞きなじんできた新曲たちも披露があり。だけどまだ歌詞を全然覚えられないな。「ポリフォニー」はいつかのライブで「雨の夜と月の光」みたいな曲になるといいと話していた記憶があって、早くそんな曲にみんなで育てていきたいなの気持ち。
堀越さんはすっかりギターも違和感がなく、けれども堀越さんのピアノが大好きだから「手と手、影と影」は一生弾いてほしいです。
高橋さんは本当にハモリの入れ方がきれいで、音源も素敵だけれどライブが特別好き。目立たないけれども難しいパートをドラムを叩きながらさらっとやるのがなんともかっこいい。
須藤さんは縁の下の力持ち。ライブ後半で珍しく台の上に立ってくれたの嬉しかったなぁ。この日のセトリはわりとゆっくりめの曲も多かったから、ベースが地面に足をつけているのがよくわかった。
メンバー紹介のタイミングのバンド名の由来、ゴメスザヒットマンロドリゲスのくだりは面白いエピソードでした。
そして来年には新アルバムとレコ発ライブの嬉しいお知らせ。さらに今年ラストかと思いきや12月にもライブあり。まだまだ人生楽しみがありますね。
ではまた次のブログでお会いしましょう。

『平行と垂直』わたしが今感じること

2026年9月4日、映画『並行と垂直』を観てきました。

みなさま、お久しぶりです。

前回いつブログを公開したんだろうって見たら、まさかの2024年で震えました。実は衝動的に書いている下書きたちはたくさんあるんですけどね。今回は公開まで頑張ってみようとキーボードを叩いています。

実は6月に引っ越しをし、7月に異動があってとてもバタバタしていたプラス、新居の自室にエアコンが設置できず、夏とても作業ができる部屋でないという状態でした。ついさっき、このブログを書くために重い腰を上げてやっとパソコンをダンボールから出して、書けるまでに至りました。はー、大変だった。

この大変な思いをしてまで、この映画を見た気持ちは書きたいと、そう感じました。そのくらい心の奥のほうを刺激する作品でした。前置きが長くなりましたが、本題に入っていきたいと思います。

 

そもそも、映画のキービジュアルが発表されたときに「これは誰だ?」と安田くんを見て思ったのです。あまりにも表情が安田くんと違いすぎて驚いたのを覚えています。内容は、自分が観たらどんな風に感じるのか不安に思いました。けれど観ないという選択肢はもちろん私の中にはないわけです。

公開日が決まり、上映館を調べていたのですが、まあ、少ない。日程を組むのも苦労しましたが、銀座のシネスイッチに決めました。映画は大好きで、大手ではない映画館にも行くことはありますが、地元密着の劇場は久しぶりで嬉しかったです。

観劇中は何度も「自分だったらどうする?」「きっと希と同じ風に言ってしまうだろう」「希や大貴の周りの人ほどやさしく強くあれないだろう」と自問自答してばかりでした。私は女性で、検査はしたことがありませんがおそらく特段障害なく生きてきたので、どうしても感情移入は希にしてしまったのですが、のんさんの演技が自然でありのままだったので余計そうなったのかもしれません。では、特に好きだったシーンを列挙していきます。

物語の始まりで、大貴が職場まで移動するシーン。とても陽気でいささかへんてこな音楽なのですが、後半で大貴が優しさと悔しさの気持ちで、一人暮らしをやめてホームに戻ると話に行った時の曲が一緒だったのが、すごいなと思いました。まったく一緒ではなく、後半は転調していて暗く、寂しい曲調になっていたのも、よかった。初めは大貴は何もわかっていなくてただお気楽に生きているように思わせる音楽で、後半はほとんどのことを大貴は理解していて、ちゃんと感情もあって、そこで決断をするという対比が描かれていたように感じました。

須賀さんは強くて優しい人。なぜ大貴の隣にいてあげているのかはわからないけど、飲み会の席で課長に向かって「大貴はほとんどわかってるんです」って言うのは、なかなかできることじゃない。大貴もきっと心では感謝しているんだろうなと信じたい。だけど、それが本人には届いていないかもしれないのがとてももどかしい。いや、一緒に働いていればわかるのか。

希のカウンセリングのシーンも考えさせられた。大貴に思いをぶつけてしまったあとの、職場で患者さんとの会話。「言葉って、口から離れた瞬間に自分の思ったとおりに伝わらないんですよね」(意訳)これには心のなかで深くうなずいてしまうくらい私にも覚えがありました。自分の感情が口から出るまでは言葉と一緒にあるのに、外へ出てしまったらなぜか違うようになってしまう経験。何度もしてきて、その度に後悔ばかり。でもそれってASDの人も同じなのかもしれません。そこだけを切り取れば、人は大差ないのではないかと感じたシーンでした。

結婚の挨拶をするシーンで希は何度も何度も委縮して謝っていたけれど、そうしてしまう気持ちはとてもよくわかる。日本人って悪くないのに謝ってしまいがち。私もそれを指摘されてからは極力「すみません」ではなく違う言い方に変えようと努力してる。謝ることが悪いとは思わないけど、きっとほかの言葉のほうがハッピーな気持ちになれる気がする。

挨拶後の川辺でのシーンは、ふたりが大人になってからの初めての兄弟喧嘩だったんじゃないかなぁなんて想像。大人になって感情をぶつけ合うなんて、したくても飲み込んでしまうことが多いし、ああやってさらけ出して、またわかりあえる素敵な兄妹でよかったと思いました。大嫌いと言っていた歌を、嬉しい時に歌う歌にしようと言った希は心から優しい人だった。

「誰も悪くない」というのがこの映画の1つ伝えたいことなんじゃないかって勝手に思いました。でも誰も悪くないって、むしろ誰かが悪いよりも残酷だと感じます。責任を押し付けて、はい終わりができないから。この映画では良い方にラストは進んだように見えるけどこのあともうまくいく保証はない。実際は最悪の形になってしまうことも多い。だからこそ、その出来事にどうやって向き合っていくかに人間性が出るんじゃないだろうか。そんな風に感じました。

私は最初の印象どおり、まったく大貴のことを安田くんと見れなかった。最後に結婚式で大貴が涙ぐむシーンがあって、その表情で「あ、この役は安田くんだった」と思ったほど。(これは私が安田くんのオタクだからですね)ラストは、少し変わったような変わらないような、そんな幕切れでした。私たちが観るのはここまでだけど、きっとこのあとも『平行と垂直』の中では大貴と希の日常が続くんだろうなと思います。

 

この映画を観て、明日からASDの人への対応を変えようとか、障害者には優しくとか、そんなことはできないと思った。だけど、その人が本当はどんな風に思っているか、感じているかの心の内面を見るようにしてみたいとは感じました。できるかどうかはわからないけど。少しでも表面だけじゃなくて、本質を知っていく行動を社会がしていけたらいいなぁ。

長くなりましたが、今回はここまでにしようと思います。最近はオタク活動も思うようにできず、あいかわらずもがいていますが、またどこかでお会いしましょう!

『ハザカイキ』これからのわたしたちの世界

2024年4月6日、丸山隆平さん主演の『ハザカイキ』を観てまいりました。今の時代に上演するべきテーマだったと思いますし、挑戦的な内容だったと感じました。

 

撮る側、撮られる側、見る側…色々な視点から舞台を考えさせられました。

ただ、登場人物全員が、きちんと胸の内を吐露して、謝罪ができる。そこに救いがあったように思います。心からのごめんなさいが言える人が現代に、どれだけいるのでしょうか。プライベートを知らない相手、顔すら知らない相手、どうやって心を通わせるのでしょうね。

 

わたしは橋本(父)の、セリフが特に色々と印象に残りました。

「なんで時代にあわせなきゃいけないんだ」「時代についていけなくて何が悪い」実は、わたしもそう思ってしまうことが多々あって。昔はこうだったのになぁとか。だからこそ余計に響いたんだと思います。

正直、時代に合わせることが正義ではない。ただ、闇雲に逆らうのが全てかっこいいわけでもない。正解をどうしても探したくなってしまうけれど、そんなものないんでしょうね。

 

橋本(母)の「世間っていうのはね、個人の集まりなの」というセリフもわたしが常々考えていたこと。個人が集合して巨大な力のように見えてしまう。正直、怖いですよ。でもね、ひとつひとつの声なんて小さくて大したことないんです。全部の声を耳に入れる必要なんてないんだって思いました。わたしも良く、嫌な時代になったなぁなんて思ってしまうけれど、なんでもかんでも時代のせいにしたくはないですね。(『忘れてもらえないの歌』で同じセリフを聞いた)

 

勝地さん演じる今井と、さとうほなみさん演じる里美が観客の前で初めて顔を合わせたシーンは、なんだかぎこちなさ、というか違和感があって。

昔の恋人なのでは…?というには、菅原の態度が普通すぎて違う気がするし、今井と里美が浮気をしている、という感じでもない。今井が菅原を連れ回しているのを疎ましく思っているのかしら、でも違うような…と思って観ていたのですが、恋敵、という理由を知ってとても納得しました。そして、違和感を覚えさせる距離感の表現が素晴らしかった。

里美は、菅原から直接過去の話を聞いたのか。それとも同じ菅原を好きだからこそ気付いたのか…その辺りに想像の余地があってよかったです。

それにしても、物語の後、菅原と里美の結婚を知った今井はどんな顔をするんだろう。きっと泣きそうになりながらおめでとう、と言うんだろうなと思うと切なくなります。全員がハッピーエンドにはなれないのが世の常、やりきれないですね。

 

記者会見のシーンから構想が始まったと、パンフレットでも三浦さんはお話しされていましたが、本当に舞台でこそやるべき演出でした。観客を巻き込んで…という表現が適切かはわかりませんが、観客サイドにかなり訴えてくるものがありました。

菅原が、撮られる側になってしまい世間の声に怯えているシーンは息を呑むくらいの迫力で、「因果応報だ」と思っていたのに、その瞬間だけは菅原の気持ちに思わず感情移入してしまいました。こういう気持ちが味わえるのも、生の舞台の魅力です。

 

とってもまとまりのない文章になってしまいましたが、貴重な舞台を観劇できたことに感謝して、明日からも生きていこうと思います。お付き合いいただきありがとうございました。

 

関ジャニ∞、ハローグッバイ。

明日、2024年2月4日に、関ジャニ∞は新しいグループ名を発表する。

 

わたしが関ジャニ∞を好きになったのがいつなのか、もう正確な年を調べないと忘れてしまうくらいの年数が経った。(多分8年くらいだと思う)

8年間、何かをずっとコンスタントに好きでいられるってすごいな。関ジャニ∞本人たちも、わたしも、山あり谷ありの時間だった。この記事を読んでくださっている方もきっと色々あったよね。でも今振り返ると、その経験が愛おしく感じる。と、信じてる。

 

世間というのはひとつの生き物だと、最近の世の中を生きて思うようになった。まるで小魚の集合体が、大きな魚に食べられないように自分たちを巨大にみせて泳ぎ回る…

本当はひとりひとりに権力なんてないのに。今は本当に、赤の他人の意見が簡単に見られるようになってしまったから。わたしのこのブログもしかり。発信すれば、誰かが必ず見る世界だ。だから、発言には気を付けたいなと思う。でも、その分、ひとりひとりの応援や声が何倍にもなって、大好きな関ジャニ∞に届くこともあるはず。だから批判は、文字やネットに残らないようにしたい。あくまでわたしの話。

 

ところで、わたしは関ジャニ∞が5人になったときに書いたブログ、『結局辛かろうが明日はくるんだよって話』でこんなことを記録していました。

今の関ジャニ∞に、私が出来ることってなんだろう?って、9月5日からずっと考えてました。正解かどうかなんてわからないけど、私は「誠実なファンでいる」ことをしたいです。今の関ジャニ∞はきっと、良くも悪くも注目されやすいと思います。だからこそ、ファンはアイドルその人達の鏡だと捉えられる。Twitterを見ていると、eighterさんは本当に素敵な方が多くて。みんなそれぞれ色んな感情を持っていることをしっかり理解している方が大勢いて、すごく励まされました。

私は関ジャニ∞に恥じない自分でいたいです。それがたくさん勇気やパワーをくれる彼らへの少しでも恩返しになると信じて。

あらためて振り返ってみると…

今日までちゃんと「誠実なファンでいられた」と自信をもって言える。そんなわたしのことが、わたしは好きだ。だから、誠実なファンをやってきた貴方もきっと大丈夫だよ。明日から、また新しい楽しいことがきっとあるよ、と伝えたい。

 

疲れたならネットニュースは見なくてもいいし、良く知らない人からの声も右から左に流していい。「まー、色々?あるみたいですね!」の一言で、つまらないと思われたほうがいい。

わたしたちの気持ちを話したり聞いたりできるのは、同じ想いのファンだけだ。どうか貴方が本当に話したい、聞きたい相手と繋がっていられますように。そしてわたしがSNSでその相手になれたら、それはとても嬉しいことだと思う。

 

名前を変えることが決まってから、毎日、関ジャニ∞へお礼を心の中で言い続けた。関ジャニ∞でいてくれてありがとう。生かしてくれてありがとう。

 

だから、ちゃんと言えるんだ。

ハローグッバイ、関ジャニ∞って。

どん詰まりの人々に見たまばゆいほどの光

一年前の、10/29(土)舞台『閃光ばなし』を観劇してきました。

当時下書きに残したまま、眠っていたのでせっかくならこのタイミングで公開したいと思います。

昭和三部作の三作品目。『俺節』、『忘れてもらえないの歌』と観劇することができていましたので、今回当たったらいいなぁと願っていましたが、こればかりは運もあるし、不正な手段を使って観劇することはしたくなかったので、応募して静かに祈っていました。今回、貴重な経験ができたこと、大事に大事にしていきたいと思います。

 

福原さんの舞台は泥臭くて、胸が熱くなる。そして、その時代を生きた人達の言葉選びが好きです。

今回は新中川によって分断された、こっち側と向こう側を描いた作品。川が作られ、そこに橋がないことで不自由を強いられている「どん詰まりの人たち」と、橋をわざとかけず、バスを使わせることでお金儲けを企む「権力者たち」…

 

まず、この舞台は、セットがとても広く感じました。

登場人物は上へ横へ時には下へも自由に動き回る。舞台上が本当に街のようで、驚きました。そしてそのセットのひとつひとつに歴史を感じたのです。

加古さん役の、小林けんいちさんがパンフレットで

ボートを浮かばせるのに、布を川に見立てて動かす稽古をしてて。そういうところも時代に逆行してて面白いなと思ってます。だって今、プロジェクトマッピングだなんだって、いくらでも映像技術を使えるじゃないですか。なのに人力で両サイドから布を引っ張る(笑)。「あぁ、人がやってこその演劇なんだ」って思わされました。

とおっしゃっていて、なるほどなぁと。人がその場で作り上げる、それが舞台を「生もの」という理由なのかなと勝手に解釈しています。

そしてこの舞台に限ったことではないですが、照明がとても素敵な働きをしています。上手に集めたいところに視線を誘導して、わたしたちは自然と光に導かれるようにそちらに目を向けるのです。

 

佐竹兄妹は確かに話の中心ではありましたが、全員が主人公に思えました。それぞれの演者さんが、熱量を込めて舞台で生きていたからこそ、誰も脇役だと思えなかった。

 

『閃光ばなし』で一番好きなセリフ。是政くんのお父さんが言った

「誰よりも全速力で向かって、誰よりも遅く到着しろ」

どんな人生を歩んできたら、こんなセリフが思いつくんでしょう。でも、このくらいの心の在り方がいいですね。このくらいのマインドの方が、世の中を歩いていけそうな気がします。

 

是政くんの元婚約者、由乃さんはとても素直な人でした。人を憎く思えるまで誰かを好きになる、というのは怖くもあるけれど、羨ましいとも思ってしまった。そこまでの恋、できる人間なんて一握りなんじゃないでしょうか。だからこそ、狂気的に思える行動も、わたしには素直に生きているんだと感じました。

 

↑ここまでが、当時書き残していたメモ。読みながら、あぁそうだったなぁと色々思い返せて楽しい時間を過ごせました。

まさか1年後にこんな風になるとは本当に全く予想できなかったけれど、関ジャニ∞の安田くんがまた、舞台に立ってくれることを願って。今回はこの辺で終わりたいと思います。

 

おばあちゃんが死んだ。

おばあちゃんが死んだ。

別に一緒に暮らしていた訳じゃなかった。でも自宅から自転車で20分もかからないところに住んでいた。

おばあちゃんの家に行く時は、大きな橋を渡る必要があって、必死に自転車を漕いで土手を眺めた。

 

毎年、年明け、1月2日には必ず家族で遊びに行った。おばあちゃんの家に行くと、スーパーで買ってくれた手巻き寿司が並ぶのが恒例だった。

大人たちが話している横で、内容をわかっているフリしながら食べるその手巻き寿司が好きだった。わたしが美味しいねと食べると、嬉しそうに色々なものを出すおばあちゃんが好きだった。おばあちゃんってどうしてこんなに、人をもてなすのが好きなんだろう。

でも全部過去形になってしまった。

 

コロナが流行り始めてからは一度も会えなくて、おばあちゃんは電話越しで、危ないから家にいなさい、ウチには来なくていいよと何度も言っていた。寂しく思いながらも、それがおばあちゃんの望みならそうすべきだと感じていた。

 

わたしの記憶にあるおばあちゃんの手は、シワシワでいつもプルプルと震えていた。でも、笑顔で穏やかな顔しか知らない。

わたしの父は、おばあちゃんの若かりし頃も知っている。父が家を出て何十年も経つけれど、父にとってのお母さんはおばあちゃんだ。でも父はわたしの前で泣いていない。

わたしはこんなにメソメソしている。それが申し訳なくて、情けない。でも涙は止められない。

 

おばあちゃんの人生がいいものだったかどうか、決めるのはわたしじゃない。おばあちゃん自身だ。そんなことわかってる。

泣きながらこれを書いているのは、忘れたくないからだ。大事な思い出を。できるだけ長く覚えていられるように。

 

葬式は、火葬場が混んでいるらしく、おばあちゃんが死んでから9日も経ってからだった。会場で安置してもらえていたおかげでおばあちゃんは口も閉じられて、傷ひとつないように見えた。

顔を見たら泣いてしまうかもと思ったけど、涙はこぼれなかった。

血が抜かれたらしく、普段見知っているおばあちゃんとは顔の印象が違うように思えたけれど、確かにおばあちゃんだった。肉体は息をしていないのはわかるけど、動き出しても不思議じゃないような気がした。

 

頭の中では横山さんの413manが鳴っていて、笑って見送りたかった。心配いらないよって心で声をかけた。

 

随分昔に死んだおじいちゃんが「やっと来たか、待ちくたびれたよ」っておばあちゃんを手招きする姿が、読経中、確かに見えた。

 

24年生きてきて、初めてわかった。人は死んだら、先に死んだ大事な人のところにいくだけだ。

だから大丈夫だって。今わたしが死んだらきっと、数年前に死んだ犬がわたしを歓迎してくれる。それだけのことだ。故人にとって、きっと死は悲しいものじゃない。そう思ったら、笑ってお別れできた。

 

こうやって家族葬でも構わないから、重たいんじゃないかってくらい、花を飾って、送ることができて幸せだなと思った。

骨になった祖母は随分と小さくなったけど、肉体はなくなったけど、確かにわたしたちのそばにいる。そう思いたい。

 

初めて犬以外に近しい人が亡くなったので、この感情を忘れたくなくて随分と重たいことを書いてしまった。書き留めたこの文章が、どうにか祖母に届いたらいいなと思った。

 

結局最後まで、父はわたしたちの前では泣かなかった。

寂しくないよ、大丈夫。

2022年12月31日。

マリウス葉くんが、芸能界を去る。

明日から芸能界としてのSexyZoneは、4人になる。

 

わたしがSexyZoneを追いかけ始めたのは、2018年。ちょうど、関ジャニ∞からすばるくんが抜けて、呆然、戸惑いが隠しきれなくて。ほんの少しだけ、何を信じればいいのかわからなくなっていたわたしを救ってくれたのが、松島聡くんだった。

好きなものはいくつあってもいいんだ、と思ってSexyZoneを好きになった。

普段はしっかりとした大人なのに、4人の前だと一番ふざけて子供みたいな顔をする健人くん。知る前まで、カッコつけすぎだと思っていたけど実は恥ずかしがり屋なだけの可愛いところもある風磨くん。年上と年下に挟まれて、どこまでも真面目に、でも遊び心を忘れない勝利くん。ひたむきにお仕事に取り組んで勇気をくれる聡くん。周りに流されず、いつだって自分を確立しているマリウスくん。

5人がグループで出す雰囲気が大好きだった。

 

でも、ファンになって数ヶ月で聡くんが活動休止。たった数ヶ月応援していただけの身だけれど、聡くんと、今を必死に走る4人のセクゾがどうにか報われればいいと、そればかり願っていた。彼がSexyZoneに復帰するかどうかは、本人とメンバーにしかわからないと本気で思っていたし、期待も憶測も絶対にしたくなかった。

 

2020年、聡くんが復帰。5人でのRUNは本当に奇跡で、今だって何度見たって涙が止まらないくらい素晴らしいパフォーマンスだった。周りの誰もがSexyZoneを応援している、そんな気さえしていた。

ただ、わたしには少しの違和感があった。どうにも聡マリの雰囲気がいつもと少し違う気がすると。マリちゃんが若干、一線を引こうとしているような感じが見てとれた。気のせいかもしれないけど。

そして、マリちゃんの活動休止。聡ちゃんの時とまったく同じ気持ちで彼の決断を待っていた。グループとしての結果は聡ちゃんの時とは異なることになった。

心から込み上げてきたのは、やっとマリちゃんを解放してあげられたんだ、という気持ちだった。ファンも、不安定な状態から抜け出せたと、思ってしまった。嫌なやつだよね。友人に心配されても、何て答えていいかわからなかった。

でもきっと、この決断は彼らが信じて決めた未来なんだと思いたい。

だったらわたしにできることは、ただそれを受け入れるだけなんだ。

 

寂しくないなんて嘘だ。マリちゃんの歌声が大好きだから。マリちゃんの長い手足をしなやかに動かして踊る姿が好きだから。Sexy Zoneの永遠の末っ子として、甘やかされて愛されているところが好きだから。

 

永遠なんてないって、すばるくん、亮ちゃんの時に嫌というほどわかっていたはずなのにな。やっぱり全然子供みたいだ。駄々をこねて、嫌だと言いたい。

 

ファンクラブに入って、届いた会報18冊のうち5人が揃った会報はわずか5冊。それでもわたしは5人のSexy Zoneを応援していたって言っても良いかな。

4人のSexy Zoneも大好きだけれど、わたしはきっと次のファンクラブの更新はしない。もしかしたら、数年後に心機一転入るかもしれないから、そのときはこのブログを読んだ人はこの記事を忘れて笑って受け入れてほしい。……超わがままでウケる。

 

これを書くことが正解ではないと思う。わたしのこの文章を読んで、誰かが傷つくかもしれない。わざわざ文にするなと思われるかもしれない。でもわたしは自分の感情をどこにも出さずに今年を終えるのは無理だと判断した。膨大な量の情報が溢れるこの世界に、ちょっとだけ、自分の正直な気持ちを流すくらい、今日だけは許して欲しい。

矛盾だらけの文章。普段なら書き殴ったりしない。でも今日はいいんだ。

 

これは、明日から、4人のSexy Zoneを見ても泣かないために必要な儀式だ。