おばあちゃんが死んだ。

おばあちゃんが死んだ。

別に一緒に暮らしていた訳じゃなかった。でも自宅から自転車で20分もかからないところに住んでいた。

おばあちゃんの家に行く時は、大きな橋を渡る必要があって、必死に自転車を漕いで土手を眺めた。

 

毎年、年明け、12日には必ず家族で遊びに行った。おばあちゃんの家に行くと、スーパーで買ってくれた手巻き寿司が並ぶのが恒例だった。

大人たちが話している横で、内容をわかっているフリしながら食べるその手巻き寿司が好きだった。わたしが美味しいねと食べると、嬉しそうに色々なものを出すおばあちゃんが好きだった。おばあちゃんってどうしてこんなに、人をもてなすのが好きなんだろう。

でも全部過去形になってしまった。

 

コロナが流行り始めてからは一度も会えなくて、おばあちゃんは電話越しで、危ないから家にいなさい、ウチには来なくていいよと何度も言っていた。寂しく思いながらも、それがおばあちゃんの望みならそうすべきだと感じていた。

 

わたしの記憶にあるおばあちゃんの手は、シワシワでいつもプルプルと震えていた。でも、笑顔で穏やかな顔しか知らない。

わたしの父は、おばあちゃんの若かりし頃も知っている。父が家を出て何十年も経つけれど、父にとってのお母さんはおばあちゃんだ。でも父はわたしの前で泣いていない。

わたしはこんなにメソメソしている。それが申し訳なくて、情けない。でも涙は止められない。

 

おばあちゃんの人生がいいものだったかどうか、決めるのはわたしじゃない。おばあちゃん自身だ。そんなことわかってる。

泣きながらこれを書いているのは、忘れたくないからだ。大事な思い出を。できるだけ長く覚えていられるように。

 

葬式は、火葬場が混んでいるらしく、おばあちゃんが死んでから9日も経ってからだった。会場で安置してもらえていたおかげでおばあちゃんは口も閉じられて、傷ひとつないように見えた。

顔を見たら泣いてしまうかもと思ったけど、涙はこぼれなかった。

血が抜かれたらしく、普段見知っているおばあちゃんとは顔の印象が違うように思えたけれど、確かにおばあちゃんだった。肉体は息をしていないのはわかるけど、動き出しても不思議じゃないような気がした。

 

頭の中では横山さんの413manが鳴っていて、笑って見送りたかった。心配いらないよって心で声をかけた。

 

随分昔に死んだおじいちゃんが「やっと来たか、待ちくたびれたよ」っておばあちゃんを手招きする姿が、読経中、確かに見えた。

 

24年生きてきて、初めてわかった。人は死んだら、先に死んだ大事な人のところにいくだけだ。

だから大丈夫だって。今わたしが死んだらきっと、数年前に死んだ犬がわたしを歓迎してくれる。それだけのことだ。故人にとって、きっと死は悲しいものじゃない。そう思ったら、笑ってお別れできた。

 

こうやって家族葬でも構わないから、重たいんじゃないかってくらい、花を飾って、送ることができて幸せだなと思った。

骨になった祖母は随分と小さくなったけど、肉体はなくなったけど、確かにわたしたちのそばにいる。そう思いたい。

 

初めて犬以外に近しい人が亡くなったので、この感情を忘れたくなくて随分と重たいことを書いてしまった。書き留めたこの文章が、どうにか祖母に届いたらいいなと思った。

 

結局最後まで、父はわたしたちの前では泣かなかった。