「忘れてもらえないの歌」 生きることに真っ直ぐな人達のお話。

このブログは、私が観た舞台を少しでも覚えていられるように、感想や印象に残っていることを書き留めたものです。

 

2019年10月24日。赤坂ACTシアターにて、舞台「忘れてもらえないの歌」を観劇してきました。席は最前列。夢かと思いますよね?私は今でも夢だったんじゃないかと疑っています。生まれて初めて、こんなに近くで舞台を拝見しました。他の席ではやっぱり味わうことの出来ない迫力。本当に良い体験になりました。

 

さて、舞台の感想に入る前の話をしたいと思います。今回、「忘れてもらえないの歌」に関するインタビュー記事は『BEST STAGE』『person』『BARFOUT!』に掲載されました。

その中で、前知識としてわかった事は以下の通り。

・主人公の滝野くんは、器用そうにみえて実は不器用な人

・滝野くんは俯瞰して物事を考えられる人

・戦争の時代を必死に生き抜いた人達の物語であること

改めて読み直すとかなり物語の本質に迫っている事もあって読み返すのは楽しいなと思いました。笑

 

「忘れてもらえないの歌」

 

昭和15年、東京。「カフェ・ガルボ」ではジャズが流れ、オーナーのカモンテの歌にお客は魅了された。店の常連だった滝野、良仲、稲荷はやがて言葉を交わすようになるが時代は太平洋戦争に突入。変わり果てた土地で三人は再会し、羽振りのよさそうな男達についていくと、進駐軍用のダンスホールで演奏するバンドマンを手配している所だった。破格のギャラに目を付け、楽器が出来ると嘘をつく滝野。ガルボバーテンダーだった瀬田、娼婦の芦実、瀬田の紹介で知り合った曽根川も加わりバンドが結成される。

時は流れ、大というドラマーも加入し、「東京ワンダフルフライ」と名乗り着実に演奏を重ねていく滝野たち。しかし、進駐軍が帰国し、徐々に食い違いが露見し始める。メンバーはちりぢりになるも、バンドを脱退した曽根川からCDデビューの話をもらい、再結成する。結果として世の中に発表された曲は全く異なる歌で、メンバーは失意の元、今度こそ完全に解散する。

「カフェ・ガルボ」を買い取った滝野は借金を抱え、店を手放すことになった。最後の日、前オーナーのカモンテが現れ、滝野に「東京ワンダフルフライ」が最後に再結成して作った、誰にも忘れてすらもらえない歌をリクエストする。跡形もなくなった、店だった場所でカモンテは「良い歌ね。あたしがこの歌を忘れてあげる」と言うのだった。

 

パンフレットを参考にあらすじ(盛大なネタバレ)を書いてみました。もっと色んなキャラがいるのですが、長く書きすぎてもわかりにくいのでそれは追々話していきたいと思います。

 

戦争が始まり、街が街でなくなってしまうシーン。ただ、何かを求めて大勢の人がさまよい、力尽きて倒れていく。大きな爆発音。焼け野原になる自分の住んでいた場所。私は戦争をこれっぽっちも知らないけれど、それでもあまりにも辛くて、そして痛かったです。役者さんの演技に見えなくてすごく怖かったのを今でも覚えています。

そして、戦争で心が壊れてしまった人達は、話かけられても、触られても、殴られても気付かない。心が空っぽになってしまった人を滝野くんはたくさん見ることになります。

 

滝野くんは必死にオニヤンマさん(進駐軍用のダンスホールで演奏するバンドマンを手配している人)に頼み込み、楽器と場所を貸してもらい練習に励みます。稲荷くんは戦地から帰ってきたばかりで楽器経験もなく、まともにサックスを吹けません。そんな中、芦実さんが「せっかくまともな生活が送れると思ってついてきたのに、今のあたしの心には絶望しかない」と言います。そこで滝野くんは、

「生きているなら何か詰まってなきゃ。それが絶望でも悲しみでも何でもいい。でも、どうせ何か詰めるなら絶望よりは希望の方が良いと思わない?」

と、メンバーを諭します。それはきっと、戦地にこそ行かなかったけれど、目の前でたくさんの人の心が死んで行くのを見たから。滝野くんはヘラヘラと笑っているように見えて、実は多くの葛藤を抱えているんだと観客が気付いた瞬間だったと思います。

安田さんは、

滝野亘に安田章大の感情や行動は一切入っていないので、勘違いして観ないでくださいね♪

とジャニーズウェブで語っていますが、私は観劇中に「安田さんも、滝野くんみたいな考えを持っているような気がするなぁ」と思ってしまいました(笑)

 

私はこの作品は「矛盾」を描いているような気もしていて。

メインテーマでもある「ジャズ」。日本はアメリカにボロボロにされたのに、アメリカの曲を演奏して、歌って。進駐軍の人達を喜ばせるのはお金欲しさだけではなく、きっと音楽が好きだったからだと思います。同時に、プライドなんか捨ててでも、生きていかなきゃいけなかったから。

 

そして、滝野くんは辛いときほど笑っています。ワンダフルフライのメンバーは、それを不思議がって、理解することはありません。私には、「笑っていないと辛すぎるから」に見えました。「笑えば何とかなる気がしたから」にも見えました。とにかく、滝野くんの「辛いときこそ笑う」が不自然なんだけれども自然ですごく切なかったのです。

滝野くんは雑誌でもあった通り、メンバーから「頭が良い」と称されるのですが、実際は本当に不器用な人だったんだなぁと。口が上手いのに、上手いからこそ本音を言っても信じてもらえないというか。環境が異なっていて、メンバーに余裕があったら、誰か気づけていたのではと思ってしまいます。誰が悪いわけでもないんですよね。ちょっとしたすれ違いなだけで。

 

物語の途中で、滝野くんは良仲くんと言い争いになります。そして喧嘩別れになってしまうのですがそこで滝野くんを取材している記者さんのセリフ。

「喧嘩別れした相手には、あなたの破片がチクりと刺さっています。それは相手が持っていなかった感情や価値観。相手に取り込まれてその人を豊かにすると思えばそう悪いことでもないでしょう?」

確かに、喧嘩をした相手って何年経っても覚えてるものなんですよね。良い意味でも悪い意味でも。結局、分かりあいたくて分かってほしくて喧嘩はするものです。だから、相手に確実に影響を与えるなぁと改めて思い知らされた瞬間でした。

 

私がすごく印象に残っていたシーンはすごく芦実さんのセリフが多かったです。

娼婦をしていて、たまたま英語の歌詞で歌えることがわかってバンドの仲間に加わった彼女は多くの葛藤を抱えていました。

 

「頼りない武器だけ持たされて戦わされる私の気持ちがわかる!?」

「あたしは歌のプロなんかじゃない。プロ意識なんて持って仕事してないあたしのこと見て馬鹿にしてるんでしょ!」

 

こういう気持ちって一回は経験したことがあるんじゃないかなぁと思っていて。趣味を褒められても、もっとすごい人はたくさんいるって卑屈になったり、自信がないのに前に出ることになったり。芦実さんは言いたいことをはっきり言っているようでいて、本当はとっても臆病だったんだと思います。

 

あと、衝撃的だったセリフ。

進駐軍が帰国したのち、ワンダフルフライで企業の営業の仕事をしているときの場面。芦実さんが娼婦だった頃、彼女を買ったことのある男に、元娼婦はイメージが悪いと言われます。仲間たちがそれは仕方がなかったと彼女をかばいますが、そこで彼女はこう言うのです。

 

「戦争で行き場をなくした女が全員娼婦をしているわけじゃないでしょ!?あの頃はそうだったから仕方がないとか時代のせいにしないで!」

 

彼女のこのセリフ、半分は本音で、半分は見栄という名の嘘だったんだろうなぁと思うと何ともやりきれない気持ちでいっぱいになります。時代や世間の風潮のせいにするのは簡単ですが、そうじゃないと言うにはすごく勇気がいる気がします。

 

物語の最後、「カフェ・ガルボ」は、壊されてしまいます。そこで、滝野くんはワンダフルフライで最後に作った曲「夜は墨染め」を独りで歌います。お店の最期を看取ったのが元オーナーだったカモンテさんと、ジャズを愛し、お店を買い取った滝野くんで本当に良かったなぁと。それだけで、「カフェ・ガルボ」は救われたんじゃないかと思います。

「夜は墨染め」は、カモンテさんに聴いてもらえて、忘れてもらえる歌になったんだと考えると、もしかしたらハッピーエンドなのかもしれません。でも、あまりにも切ない終わり方だなぁと思ってしまいます。

 

東京ワンダフルフライは、結局、生きる道も違うし、進む方向もバラバラで、ビジネスパートナーだったんだと思います。でも、 初めて生きるために、楽器もない中オニヤンマさんの前でみんなで「マイブルーヘブン」を歌ったあの瞬間はきっと仲間だったんだなぁ。ジャズが好きで、音楽が好きな気持ちはみんな同じだったと思います。

それから、劇中では描かれなかったけれど、最後の曲「夜は墨染め」を作って、自分たちの音楽がたくさんの人に聴いてもらえると夢を見ていたあのときも、確かに仲間だったとそう信じたいです。

 

長くなりましたが、本当に素敵な作品を観劇出来たこと、私の中で宝物になりました。

寂しいけれど、いつかちゃんと忘れる日が来ることを嬉しく思います。